光の画家から、光が奪われたとき
もし“光の画家”から光が奪われたら、世界はどんな色を宿すのだろう。
豊田市美術館「モネ-睡蓮のとき」。
そこにあったのは、柔らかな光や水面に揺れる草木ではなく、燃え立つような赤、荒々しい黄色、叩きつけられた筆の痕跡。絵というよりも感情そのものがキャンバスに焼き付けられているようでした。
なぜ彼は、これほどまでに激しく塗り重ねたのか。

晩年のモネは白内障に蝕まれていました。世界は霞み、眩しく、淡い色を失っていったことでしょう。画家にとって「見えなくなる」ということは、存在意義そのものの喪失―死に等しい痛みだったのかもしれません。その恐怖をあなたは想像できるでしょうか。
「もう何も見えない。描くこともできない。いっそ失明してしまいたい。」
モネ
そう記した彼の言葉は、静かな絶望の底を覗かせます。
けれどモネは筆を置きませんでした。
1918年以降のいくつかの絵には、もはや“光”は描かれていません。そこにあったのは、怒り、諦め、焦燥、喜び、焦燥そしてかすかな希望。矛盾する感情が分厚い絵具となって幾重にも重ねられ、一枚の絵にぶつけられていいます。
「形や色のことを考えるのは、苦しみから逃れる唯一の方法なのです」
モネ
失っていくものに抗えず、その喪失の中でなお「描く」という行為を手放せなかったモネ。
私たちもまた、人生の中でさまざまなものを失っていきます。
若さ、健康、時間、夢、人、そして命。あなたが一番得意としていたことが出来なくなる。その恐怖は、察するに余りあります。変化し失われていくものに対し私たちはどう向き合えばいいのでしょうか?
失うことは、必ずしも終わりではないのかもしれません。
光を奪われたモネは感情と心で描き続けました。これを実験や挑戦と呼ぶ人もいます。あの絵はそんな綺麗なものではありません。
ただ「私には、こうするしかないのだ」と叫んでいたように感じます。
あなたなら、光を失ったあとに何を描き続けますか?
※「モネ-睡蓮のとき」は豊田市美術館にて、2025年9月15日まで開催中です。晩年のモネの変化を見ることができます。
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